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【絵はどこへ行くのか?】

 投稿者:マミケン  投稿日:2018年 4月25日(水)09時13分13秒
  やたら描き込んだり、逆に描かなかったり、やたらきれいだったり、やたらきたなかったり・・・それは描く人の心の中でしかないのです。みんなちゃんと「見えている」という記録なのです。

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【谷内六郎館】

 投稿者:マミケン  投稿日:2018年 4月25日(水)00時40分58秒
  「ビンの中の夏」・・・・谷内六郎さんの絵って俳句に近いなぁ・・・と思ってしまう。日本人特有の季節感がその根底にあるからでしょうか?

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【川瀬巴水館】

 投稿者:マミケン  投稿日:2018年 4月25日(水)00時34分7秒
  「舟津の秋」昭和28年(1953)・・・・あれま僕が1歳の時の絵だなぁ・・・舟津とは河口湖周辺にある地名だそうな。ある意味堂々たる富士山ですなぁ・・・ニワトリがカワイイねぇ・・・

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【いろんな絵があるなぁ】

 投稿者:マミケン  投稿日:2018年 4月25日(水)00時24分45秒
  ●いろんな絵がある。みんな正解、もしくは不正解。答えは描いた自分の中にあるものです。ただイラストレーターみたいに「何かのために描く絵」の場合、使う人がOK出さないと正解にはならない。
●もっともダ・ビンチや北斉だって、注文で描いていたわけだし、問題は描いている自分の中に常に正解はあります。ルノアールの「イレーヌ嬢」にしても注文主から受け取り拒否されたそうだし・・・・

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【生々流転】詞・曲:さだまさし

 投稿者:マミケン  投稿日:2018年 4月24日(火)20時30分1秒
  ああ あたりまえに生きたい ささやかでいいから
ああ 前のめりに生きたい ひたすら生きてゆきたい

鳥は空で 生まれて 魚は海に生まれたのなら
時間と呼ばれる 長い長い河の中で きっとわたしは 生まれた
生きるという奇蹟を 思い切り信じて過ごしたい
喜びと悲しみと憎しみと愛と死を
つまづき乍らでいいから いつくしむ人になりたい

ああ あたりまえに生きたい ささやかで いいから
ああ とても優しくなりたい 素直に生きてゆきたい

道に迷い苦しみ 時には人の そしりを受けて
それでも笑って 胸張って生きられる程 強く強くなりたい

こんな小さな生命 それでもわたしにたったひとつ
逃げたあと悔やむより 悔やまずに血を吐いて
ひたむきに歩ける程 勇気とちからが欲しい

ああ あたりまえに生きたい ささやかでいいから
ああ 前のめりに生きたい ひたすら生きてゆきたい

ああ あたりまえに生きたい ささやかで いいから
ああ とても優しくなりたい 素直に生きてゆきたい

ああ あたりまえに生きたい ささやかでいいから
ああ 前のめりに生きたい ひたすら生きてゆきたい

ああ あたりまえに生きたい ささやかで いいから
ああ とても優しくなりたい 素直に生きてゆきたい

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【デッサンとは何なのか?】

 投稿者:マミケン  投稿日:2018年 4月24日(火)13時38分14秒
  ●現役と一浪の受験時代はデッサンばかりやっていた。中学時代から石膏デッサンは好きだったから苦でもなかったが、友人の中には石膏デッサンは大嫌いという輩もいた。まぁ風景画やマンガの方が好きな奴もいただろうから、「石膏デッサンでテストする」という伝統も明治時代から変わっていない感じもする。
●大阪から「絵が描けない」と泣きついてくる女性がいて、彼女はいつも「私はデッサンができないから」と言うのだが、「本当にデッサンが必要になったら、いやでもデッサン力はついてくる」と教えているのだが、納得しない。デッサン力が本当に欲しかったら、自分1人でも1万枚練習すればいいだけなのに、サボりたいだけなのだ。
●日頃マンガなんかを見ていても、デッサンの狂いみたいなのは気になる。まぁ絶対音感みたいなものか?それが分かるからエライわけでも、「いい絵」が描ける保障になるわけでもないのだが・・・
●先日の横山大観展で「けっこうデッサン力なかったんだなぁ・・」と思った。でも彼はおそらくそれを自覚した上で「自分はどんな絵が描けるか?」自問自答した答えが「横山大観の絵」だと感じた。逆に「デッサンに逃げてる」感じの絵もあるのだ。
●「デッサンある絵」は言わば「優等生」。学生時代はそれでもいいが、社会に出ても「優等生が好まれる」という保証もない。いや逆に「ちょっと変な」方が「目立ったり」「好まれたり」する場合もあるのだ。

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【Nくんの立体】

 投稿者:マミケン  投稿日:2018年 4月24日(火)08時29分21秒
編集済
  ●沖縄のNくんと知り合ったのは「寓話」だった。実家は国際通りで宝石店を営んでおり、名古屋の大学を卒業後、沖縄に帰り実家の手伝いから入った。
●Nくんは沖縄ジアンジアンで講演していた劇団のスタッフになりたくて入ったのに「図らずも」役者にされてしもうた。劇団は男性が足りなかったのだ。僕は「寓話」のマスターの推薦で劇団ポスターを作っていた。ある日台風で公演が伸び、学生はテスト期間に入ってしまった。・・・てなもんで、歌えず、踊れず、芝居できずの、3拍子揃った僕も役者に駆り出されたのである。ははは、よっぽど困っていたんだねぇ・・・
●N君は実家を手伝った後、奥さんと新しいお店を始めた。国際民芸店。インドやアジア各国の「ちょっと変な物」が並び、すぐ若者たちの人気店になった。
●彼の店は多い時は4軒あったかな。お昼から午後11時まで営業。年中無休である。
●だが彼は50歳で20年続けたお店を閉店、貸しビル業をメインにした。
●彼が「何やら」作りだしたのは、そんな時だったと思う。元民芸店の倉庫「ダッズ・ガレージ」(お父さんのガレージ)で、こそこそ何やら作り出したのだ。
●最初は彼が収集した模型をまるで昆虫採集のように並べた箱だった。宝石の鑑定や加工のプロだったので、道具も揃っているし、仕上げも「プロの技」であったのだ。
●「これは展覧会やりなよ」とある時勧めたら、「やるよ」と案内ハガキが届いた。沖縄タイムスのギャラリーである。「空想標本箱」がテーマだった。作品は趣味だったビデオや音響、オートバイも含め、自由に広がっていた。
●その挨拶文が素晴らしい。子供時代、ある友達から「小さなウソ」をつかれた。それは何かの「不思議な機械」だった。後日Nくんは友人にそれを「見せて」とお願いしたら「ウソ」でしかなかったのだが、彼はそれに偉く感心するのだ。「何という柔らかい発想だろう」と。
●彼の作品は、常にそれの沿線上にあるような気がする。絵でもない、彫刻でもない・・・そんな狭い範疇には入らない。何しろ「誰も作ったことのない装置」ばかりなのだから・・・

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【川瀬巴水館】

 投稿者:マミケン  投稿日:2018年 4月24日(火)05時32分23秒
  「高砂日原」昭和7年・・・・これはそんなに大きな作品ではないかもしれない(ハガキサイズくらいかも)が、いい作品である。シンプルだけど強いなぁ・・・

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【谷内六郎館】

 投稿者:マミケン  投稿日:2018年 4月24日(火)05時24分56秒
  2500点近い「週刊新潮」表紙絵の中で、僕はこれが1番好きかもしれない。現代にこんな週刊誌の表紙が出現したら世界が震撼するかもしれない。(以下彼の表紙の言葉より)
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燈台の上から鏡の反射,さすが光を利用する燈台の子です。

 ぼくはあの静まりかえった白い午後の燈台が好きで,たいてい海辺の燈台は立寄ってみます,白の中の不思議な静けさ,遠い沖の白波,そんなコントラストがたまらなくいいし,やはり海洋ロマンチシズムという派に入るようです,風力計などがカラカラまわる午後の陽ざしの中ではとくに別世界に行ったような気分になれます。

 初秋から秋の陽ざしの白は胸にしむこむものがあります,この表紙の言葉もK燈台から帰って来て書いております,たいぶ前にぼくが一日燈台長をやらせてもらったところです,そこにはぼくの絵が燈台長室に飾ってあり,時々お茶を御馳走になりに行く燈台です。

 光放射の型式から電波放射に移る時代になって来たようで,今にこうした白い燈台も姿を消して行くのでしょう,燈台も又SLのように去っていくのでしょうか。

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【作品を残すということ】

 投稿者:マミケン  投稿日:2018年 4月24日(火)05時11分50秒
編集済
  ●先日、沖縄のNくんに作品集を送ったKくんの話。彼は亡くなっているが、東海大教授をして海外でも受賞している。彼の作品は時々個展で見ていたが、一堂に見たのは私立学園の美術館で見た回顧展が初めてだった。
●「これは全作品撮影してしまおう」とセコセコ動いていると、会場にドヤドヤと小学生の一団が入ってきた。彼の作品は子供が触りたいような作品ばかりだ。「覗くのはいいけれど、触っちゃダメだよ」先生はそう言っている。こどもたちにはちょっと「酷」かもしれない。でもけっこうおとなしく見ているなぁ・・・
●50名くらいの生徒に先生は男女4名くらいだったか?その中の男性教師が僕に「間宮さんですよね」と話しかけてきた。どうも入口の芳名帳を見たようだ。話したら、彼はKくんの息子さん。何とそこの小学校の美術教師になっていたのだ。
●座った小学生たちに「父がこれを作った時には・・・」と話している。何か感動的だったなぁ・・・同僚の女性教師に聞いたら「私たちも初めて聞いた話です」とのこと。
●作品を残すということは「作者の思い」を残すというなんだなぁ・・僕たちは作品を通じて、ナマでそれを感じることができる。それは時間をも超えるのである。

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【友と友を結ぶ】

 投稿者:マミケン  投稿日:2018年 4月23日(月)11時01分14秒
編集済
  ●先日5年前亡くなった芸大同期Kくんの奥さんから作品集パンフが送られてきた。はてな困った。実は展覧会場ですでに購入していたのだ。無駄にするのも忍びない。考えたら「立体作品で奏でるお話」という点で、沖縄のNくんの作品イメージに近い。これは失礼ながら勝手に「横流し」してしまおうと決めた。すいませんねぇ・・・
●本日Nくんよりメールあり。「こんな作品好きです」とのこと。良かったなぁ・・・ちょっと仲人成功のイメージ。考えたら先日亡くなったタコスも「友人紹介の天才」だったなぁ・・
●考えてみたら、住んでいる場所も違い、会ったことのない人物が作品を通して「何となく分かる」というのは素晴らしいなぁ・・・作品がなかったら「何にも分からない」と言うわけで・・・その時「素晴らしい肩書が入った立派な名刺」なんかが残っていても「まるで意味がない」わけで・・・

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【死なない程度に…】

 投稿者:マミケン  投稿日:2018年 4月23日(月)08時41分15秒
  (最近、いろんな知り合いが体を壊したりしているので・・)
死なない程度に 生きていけたらいいなぁ・・・
「見栄」でもなく「豪華」でもなく
ただ生きていけたらいいなぁ・・・
「名声」も「財産」も
そんな物、死なない程度に生きていくのに、何の役に立つと言うのだ

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<好きな歌>

 投稿者:マミケン  投稿日:2018年 4月23日(月)05時42分13秒
編集済
  歌手エディット・ピラフは妻子あるプロボクサーに恋していた。彼が飛行機事故で亡くなった。原曲の歌い出しは「例えこの天井が崩れても」というような言葉だったが、岩谷は「越路吹雪には合わない」と変更した。この歌はシャンソンショーの劇中歌で、岩谷時子が訳詞・作詞した初めての曲だった。

越路は極度の緊張しいでその極致はコンサートの出番前だった。岩谷は常に出番前の越路に付き添い「あなたは虎、お客様は猫」と背中に「虎」の一文字を書いたと言われている
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【愛の讃歌】詞・曲:M.Monnot・E,Piaf/日本語訳詞:岩谷時子

あなたの燃える手で あたしを抱きしめて
ただ二人だけで 生きていたいの
ただ命の限り あたしは愛したい
命の限りに あなたを愛するの

頬と頬よせ燃えるくちづけ交わすよろこび
あなたと二人で暮せるものならなんにもいらない
なんにもいらないあなたと二人生きて行くのよ
あたしの願いはただそれだけよ あなたと二人
固く抱き合い 燃える指に髪をからませながら
いとしみながらくちづけを交わすの 愛こそ燃える火よ
あたしを燃やす火 心とかす恋よ

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<好きな歌>

 投稿者:マミケン  投稿日:2018年 4月23日(月)04時36分59秒
編集済
  高校時代だったか森田健作の大人気ドラマ「おれは男だ」の主題歌である。これも阿久悠の作詞なんだなぁ・・・ある意味「阿久っぽい」歌に感じるなぁ・・・現在森田が千葉県知事なのは、何か冗談のようにも感じるのだが・・・
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【さらば涙と言おう】詞:阿久悠/曲:鈴木邦彦

さよならは誰に言う さよならは悲しみに
雨の降る日を待って さらば涙と言おう
頬をぬらす涙は 誰にもみせない
こらえきれぬ時には 小雨に流そう
さみしさも 悲しさも いくたびか出逢うだろう
だけど そんな時でも さらば涙と言おう

青春の勲章は くじけない心だと
知った 今日であるなら さらば涙と言おう
まぶたはらす涙も こぼしちゃいけない
こらえきれぬ 時には まつげにためよう
恋のため 愛のため まっすぐに生きるため
泣けることもあるけど さらば涙と言おう

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【静物画は少ないなぁ‥】

 投稿者:マミケン  投稿日:2018年 4月23日(月)03時38分36秒
編集済
  ●友人のO竹くんはいつも静物画を描いている。僕は「気になった作品のみ」90点を撮影したが、その中で静物画で残ったのは彼の作品のみだった。彼が知り合いではなかったら、その90点に入ったかは怪しい。
●静物画は自分で全部セッティングできるし、「最後まで描こう」と思ったら、1番のモチーフである。パリのサロンなどに出ている静物画にはみんな「隠れた意味」があった。モデルに対してすぐに怒ってしまう偏屈おやじのセザンヌなどには1番いいモチーフだったかもしれない。植物などを使うとそれはどんどん枯れていってしまうのではあるが・・・

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【4/22(日)夏日!!】

 投稿者:マミケン  投稿日:2018年 4月22日(日)19時37分42秒
編集済
  午前11時半くらいにコート着。M島さんが奥のコートで一人練習中。土手側コートはN本一家が使っている。八星苑門前にあった家はなくなり更地である。若いセールスマンが立っていたのでいろいろ聞く。100坪で3億円。3つにしてばら売りも可能。今、質問等受付中だそうな。
●駒沢公園に行く。噴水では子供たちが水遊びを楽しんでいる。
●いろいろなスポーツをやっているなぁ・・・陸上競技場では中学生の記録会をやっている。球技場では中学の卓球大会である。
●正午コートに戻る。N本家の姉妹はスマホゲームに夢中である。中学で関東大会に行ったというI川くんちの娘さんもテニスアカデミーに通う前の練習で来ている。あれれ普段は眼鏡かけていたんだねぇ・・・

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【写真の影響】

 投稿者:マミケン  投稿日:2018年 4月22日(日)08時16分20秒
編集済
  ●絵を描くのに写真を使ったから「ズルイ」とは思わない。デッサン家として知られるドガも写真を活用していたと言う。写真が発明された頃から「絵の資料」として「写真を使う」のは、ある意味「王道」であった。
●でも僕の予備校や学生時代を考えると「写真を使うなんて」と言う雰囲気は強かった。「絵はデッサンをして描く」のが当たり前だと。
●僕らの学生時代(1971~75)に写真を使おうとするとプリント料が高く、大きなプリントなど何枚も作れなかった。
●それが画期的に変わったのは、デジカメ化が大きい。パソコンとカラープリンタがあれば、A4サイズプリントを1枚数円で作れるのだ。前はカラープリントA4サイズくらい(6つ切印画紙?)は1枚600円くらいはしたかなぁ・・・ある意味、現代は「写真がすごく身近になった時代」である。
●そのせいもあってか、今は「スーパーリアル絵画」が増えているそうである。

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【どれが1番か?】

 投稿者:マミケン  投稿日:2018年 4月22日(日)00時22分18秒
  いろんな絵が並んでいて、どれが1番か?なんて決められない。「どれが好きか?」くらいは言えますけれど・・・でも美術大学受験なんて「そういった道」を歩いてきたわけで、「心境複雑」ですねぇ・・・

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【ぶらり八星苑】

 投稿者:マミケン  投稿日:2018年 4月21日(土)21時15分25秒
編集済
  ●4/21(土)午前10時半、Yさんのテニスレッスンがあるので、早めにローラー。もう乾いていたが、雑草は多いし「除草剤代わり」くらいの効果はあるかなぁ・・
●Yさんのラケットで少し気になったことがあった。ヨネックスでバランスはいいラケットなのだが、女性には全体に重めでトップスピンを打つには、フォアは振り回しにくいのである。今日は他の人のラケットを使って「自分のラケットの見直し」である。
●ラケットは「自分の感覚」なので「重く感じるか?」「軽く感じるか?」は分からない。その上で「自分が何を選ぶか?」は「何でもいい」のである。「自分が納得できれば」それでいいのである。
●Yさんは3時から2時間神宮前のテニスクラブのレッスンを受けている。それの「前練習」である。彼女は午後2時に切り上げる。
●午後はテニスコートでゆったり。ギターを弾いたりする。ギターはブックオフで2500円で買ったピンクギターに白マジックでイラストを描いた物。

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【八星苑コートの使用禁止】

 投稿者:マミケン  投稿日:2018年 4月21日(土)21時01分25秒
  ●6/1~10月末日(予定)八星苑テニスコートが使用禁止だそうな。
●コートの横には、元独身寮の4階建てのビルが建っているが、僕が入社した1975年にはもう独身寮ではなくなっていた。20年は使ったかと思えば、もう60年もあそこに建っている計算になる。どうやらそのビルが取り壊しになるそうな。その隣にテニスコートがあるので、危険がないようにとの「使用禁止」だそうな。
●ビルの1階にはいろんなスポーツ部の部室がある。今月中に部室の私物は整理するようにとのことらしい。
●6月から10月中の5か月テニスができないと決まった。その間沖縄でも行ってこようかなぁ・・・何しろ「無職」なので、誰に相談する必要すらないのである。6月末に沖縄に行って土地を決め、その後「どんな家を建てるか?」建築家と相談、そのまま建てられないかなぁ・・・

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