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きじむなぁを捜して②

 投稿者:マミケンメール  投稿日:2012年 2月 7日(火)09時29分5秒
  ●青砂工藝館のY元さんに3枚のスケッチを見せると、はははと笑って「こんな所にきじむなぁはいないよ」と言った。「僕がそれらしい木を教えて上げます」と言ってくれ、車で那覇市松山公園の一角に連れて行ってくれた。もう夕日も沈みかけている。急いで筆ペンでスケッチ。その木の回りでは小学生くらいの子供たちが5人遊んでいる。子供たちが良かったので「写真撮らせて」と言ったら、並んでポーズしてくれた。一人は木に登ったままポーズ。きじむなぁとは、沖縄に住む人々の根底にある意識なのではないか?そう思った。

●行きつけのジャズライブハウス「寓話」で、クラリネットのりよちんさんにも聞いたら「沖縄県庁を南にかなり行くと左に見えてくる」との答え。ははは適当な答えだが、それを信じて次の日歩いた。熱い!!汗が噴き出る。でも県庁から坂を登り15分も歩くと見えてきた。元、この一帯は馬場だったようで、木の下には石の馬も設置してある。昔からある道端の大木で、なるほど夜などには何かいそうに感じるガジュマルの木であった。
 

きじむなぁを捜して①

 投稿者:マミケンメール  投稿日:2012年 2月 7日(火)09時16分9秒
  もう6年前になるけど、画文集「NAHAマラソンの道」を作ろうと、沖縄で道の筆ペンスケッチをやっていた頃のことだ。ふと牧志にある友人宅の前の公園で待つ時間があって、公園の木を描き出した。沖縄の木たちは、暖かい気候を反映して、伸びやかである。

沖縄では大きな木には木の精霊「きじむなぁ」がいるとされ、その姿はオジイサンともいたずら盛りの子供とも言われている。そんなことを考えながら公園で木立を3枚スケッチする。
 

ちと傘にらくがき

 投稿者:マミケンメール  投稿日:2012年 2月 7日(火)09時07分55秒
  スカイツリーの傘を買ったのは、確か上野の文化会館、半年も前だったろうか?開いてみると、少し寂しかったので加筆。ゴジラ、モスラ、ラドン、キングギドラである。僕の車もそうだが、現代人は忙しく、人の車や傘なんか見ているほど、ヒマではないのである。ははは、これはやりたい放題やって大丈夫だなぁ・・・・  

ある言葉

 投稿者:マミケンメール  投稿日:2012年 2月 6日(月)13時18分17秒
  放浪の画家・山下清の言葉を思い出しました。

「人がゆっくりと歩いている町は
 やさしい人が住む町です」

それは真実!!
(今、僕たちはゆっくり歩いているだろうか?)

 

2/4(土)とあるスクール第5回目終了

 投稿者:マミケンメール  投稿日:2012年 2月 6日(月)09時22分38秒
編集済
  ●2/4(土)寒い。午前9時半コートに行く。コートは乾いているが、霜が降りて、固まったのが溶けた感じがあるので、少しコート面に締まりがない。このままテニスをやると、コート面が崩壊しそうなので、急ぎローラー。駒沢公園側金網側、先週雪があってローラーできず、盛り上がった凸凹部分にもローラーしたかってしね。約30分でスクールにギリギリ間に合ったが、本音を言えば、午前中使わずに2時間乾かしたい所である。スクールの今回はラストの5回目。次回は1回目ですから、全5回分の参加費4000円のご準備を、お釣りのないようお願いいたしまする。

スクールは今回ショートクロスとロビングの打ち分け。まぁ僕の得意種目ではある。ははは。

食事後、午後はダラダラ。Y本一家が来ていたので、次女Yちゃんが着せ替えシールで遊んでいる所をスケッチ。普通子供は1つの遊びに5分はもたないものだが、10分くらい集中しているので、描きやすい。どんな遊びだったかは影に隠れて見えない。

そのスケッチを見せると「自分も描く」と言う。横に3本線を引く。この線が何を意味しているかは分からない。1回「描きなおす」と言うから、その3本の線も消そうとしたら「そのままでいい」と言う。自分なりのこだわりがあるのだろう。50色クレパスを持ってくると「ママを描く」と書き出した。その横に言葉を書いてくれと僕に頼むので、書いてやった。文章としては何のこだわりもないストレートな文章だが、これを全部発音できる所が凄し。(間違って1文字「絵」という漢字を書いてしまったが、ひらがなが正解だと思う。

次は僕を描くという。目を黒で丸くグリグリと描くのは、1つのパターンである。今度は体も描いた。今度は黒で文章を書く。僕の名前を「あみなやさん」と発音した。彼女の耳にはそう聞こえているのだろう。これを発音してみると分かるが、イントネーション的には「まみやさん」と同じなのである。文字から入らない方が言葉は対応しやすいのかもしれない。
●2/5(土)近所のホームセンターに行ったら、おもちゃコーナーに「いたいワニー」があったので購入。ワニのおもちゃで口を空けた10本の歯の1本だけは虫歯である。1本ずつ押していって、それを押すとガブリと食われてしまうという、子供にとっては恐怖のロシアンルーレット的なゲームである。約20年前から沖縄のJAZZスナックにプレゼントして遊んでいたゲームだったが、やっぱりYちゃんは「怖い」と指を出さない。姉のMちゃんもおっかなびっくり。でも隣の4歳くらいの女の子は無表情で怖がらない(どういうわけか、彼女はパクリと食われる確率高し。ははは)。土手にいたテニス仲間も含めて、そのワニは一躍人気者になった。もちろん子供の遊びだから、15分もすると飽きられたが、おもちゃとしてはけっこう関心が続いた方である。

★これから土手でテニスを待つ君も「いたいワニ―」をよろしくねぇ・・・ははは
 

本門寺・彷徨⑥おしまい

 投稿者:マミケンメール  投稿日:2012年 2月 3日(金)15時38分27秒
  ●本門寺の北東側には「本門寺公園」がある。何があるわけではないが、広めの広場では近所の運動会やボーイスカウトの支部大会が行われていたようだ。古い「昭和13年開園」とある石のプレートには「東京市」とある。まだその頃、京都が中心で、東京は「東京都」ではなかったのである。
●高校時代何年生だったか忘れたが「スケッチ」があった。五重塔など描きたくもなく、本門寺公園北側に見渡せる「甍の波」を描きたいと思った。ただ力不足で描き切れなかった。新録の季節、緑色が輝いて見えるのは、回りの色がアンダーに落ちているのの対比効果だと気がついたのは、芸大に入ってからである。ははは
●約40年ぶりに懐かしのスケッチ場所を確認し、帰り道でふと目にした小道である。今、僕が絵にしたいのは、こんな何気ない風景である。
 

本門寺・彷徨⑤

 投稿者:マミケンメール  投稿日:2012年 2月 3日(金)15時26分26秒
  ●遠く遠くを見渡すと横浜のランドマークタワーが見られる。電波塔はラジオアンテナだろうか?
●朗報会館横の坂を登っても五重塔に辿り着ける。五重塔の前にある木は桜が多く。花見の季節も人手が多い。
●僕らが約60年間本門寺を見てきて、現在1番古く残っているのはこの納骨堂である。昔はただ黒っぽいだけの建物だったが、近年、きれいに修復されている。
 

本門寺・彷徨⑤

 投稿者:マミケンメール  投稿日:2012年 2月 3日(金)15時20分34秒
  ●展望台から見れるお寺である。この周辺のお寺はすべて日蓮宗と思われる。つまりは江戸時代、ここは江戸市中などではない、東海道の外れの田舎であったと想像される。最も江戸時代より10月の祭り「御会式(おえしき)」は有名だったから(書物には江戸三大祭りと記され、夏目漱石の「坊ちゃん」にその名前のみ記載がある。
●展望台から見える神社である。当時池上には小高い丘がかなりあり、それのほとんどに神社があったと思われる。本門寺の96段階段を登り切った右側にも狐の神社がある。これはもしかしたら、本門寺創建前からある神社なのかもしれない。
●参道沿いのお寺である。昔からどういった理由からか塔を持った建物が見られる。時代の流行だったろうか?
 

本門寺・彷徨④

 投稿者:マミケンメール  投稿日:2012年 2月 3日(金)14時59分21秒
  ●大田区民会館の屋上展望台からの風景である。手前に池上小学校。今はコンクリート4階建てだが、子供時代は木造2階建てだった。その後すべての建物は高層化し「東京には空がない(高村智恵子)」状態になっている。
●呑川から本門寺に通じる裏道である。かつてこの一帯を温泉街にしようとした動きがあるようで、ちゃんと2階に宴会場を完備した銭湯「久松温泉」も池上駅そばに残っている。ここの黒い鉱泉はいろんな病気に効くと、車で遠くからくるお客も多い。
●遠く煙突の煙が見えた。昔池上近郊も町工場が多く、煙突の煙も多かったが、住宅地(不動産屋ではやや高級地のようだ)の色が濃くなってきてから、工場の煙は減ったが高層マンションが多くなり、ビルの圧迫感ばかりが増したように思う。
 

本門寺・彷徨③

 投稿者:マミケンメール  投稿日:2012年 2月 3日(金)14時43分56秒
編集済
  ●池上本門寺の五重塔は江戸時代の作。都の重要文化財だ。僕の子供時代は戦後でもあったし、ボロボロの五重塔だったが、三年ほど前にすべて解体修理したのが今の塔である。
●僕は小学校から高校まで池上だったから、スケッチとなると本門寺に行って「何か描け」となる。子供は目立った派手な物が大好きだから、だいたい五重塔にチャレンジしては挫折したのがほとんどだと思う。今だから言えるが五重塔はプロの画家が書いても「難しい」のである。先日一年前に僕も描いたが、やはり難しかった。

五重塔は一本の心棒を中心とした建物で、ほとんど木の組だけで出来ている。屋根の下の木の装飾が複雑なのはそのせいで、そのために「全部描いてやろう」なんて考えたら、10時間かかっても、下描きも終わらないかもしれない。

描き方としては細部にはすべて目をつぶり、イメージだけで描く手段がある。言わば抽象画であるが、五重塔そのものが細部よりも全体のイメージでしかなから、墨でその骨組だけ描く(杉本健吉さんの絵でそんなのがある)だけで、五重塔にはなるのである。後は作者が居直って大声で「五重塔だぁぁぁああああああ!!!!!」と叫ぶだけでよろしい。気の弱い観客はそれに何も言えず「そう言えば五重塔に見える」と言うに違いない。ははは

気の強い観客にはどうするか?そんなのは自分で勝手に考えるように。絵を描くよりも、芸術で大切なのは、プレゼンテーションだったりするのです。馬鹿らしいけれど。
●ここの五重塔は江戸時代の歌川広重「江戸近郊○○景」に本門寺全景の1部として描かれている。今は緑が増えて、下からは見えないが、当時は呑川のほとりから五重塔が見上がられた記録になっている。
 

本門寺裏の蕎麦屋さんを描く。

 投稿者:マミケンメール  投稿日:2012年 2月 3日(金)12時41分42秒
編集済
  昼食時間になった。何か高いなぁと思うお店が多い。そうそう本門寺の車坂を下って、池上神社を背にして少し行くと昭和初期創業という蕎麦屋さんが見えてくる(○○そば30銭という古い品書きも残っている)。その外観は創業当初のままで味がある。高さにすると今の4階建に相当する高さのある3階建て建築である。子供時代からこの前はいつも本門寺公園に遊びに行く時、通ってはいたが、子供にそんな金などなく、子供時代はついに1回も入った経験はなかった。大学時代だったか、一緒に美術をやっていたN藤くんと「味がある建物だなぁ・・」と中に入り、もりそばを食べた経験が1度だけある。

今日はカツ丼800円を食べる。懐かしい味がした。僕の後にお客が一人、もりそばを食っていた。そんなに混んでいなかったので、勘定後、女将さんらしき人に「すいませんが、10分ほどスケッチしていいですか?」と聞いたらOKだった。ありがたい。

筆ペンで描き出したが、途中インクが切れた。しょうがないのでサインペンで半分くらいは描いた。家の中に昔の勘定所らしき建物風があるのが面白い。奥座敷にはお孫さんの描き初めらしきが張ってある。僕が絵を描き出すと、女将さんがみっともないと思ったのかその1枚を外したのが印象的だった。15分くらいで終了。お礼を言い、店を出る。池上図書館で時間をつぶし。約2時間後、コンビニでコピーを取って再度訪問。ちょうどお昼タイムも終わり玄関を閉めて休憩中だったが、出てきたオヤジさんに渡す。オヤジさんは奥にいて、僕がスケッチする所は見ていないので驚いたようだ。「おおお」ははは嬉しいなぁ・・自分の自己紹介ハガキも渡す。

自分の世界がたった1枚のスケッチから広がったら、それはそれで嬉しい。その1枚を描かなかったら、何事もなく過ぎた時間であったろうが。
 

本門寺・彷徨②

 投稿者:マミケンメール  投稿日:2012年 2月 3日(金)12時20分46秒
編集済
  ●階段の両側には、今は手すりがあるけれど、僕の子供時代1960年頃はなかった。日本が若い時代だったのかもしれない。
●山門である。これが初めてできたのはつい30年くらい前だったと思う。子供時代にはなかった。ここには2体の仁王像があるが、そのモデルは力道山の弟子だったアントニオ猪木である。デビュー当初はブラジル出身と言われていたが、出身は鶴見。兄たち家族でブラジル移住。砲丸投げの選手時代に力道山から誘われたから、筋肉美であったのも頷ける。彼が彫刻家の前でポーズを取っている写真がある。まだ駆け出し時代の話である。
●日蓮像である。ただ僕の子供時代には台座しかなかった。戦中、金属はすべて国に寄付させられていた。台座の文字には「星亨君」とあった。大正時代、板垣退助と並ぶ」自由民権運動の闘士である。どんな像だったかは写真を見た記憶がない。日蓮像が立ったのも山門と同じく30年くらい前だったと思う。
 

本門寺・彷徨①

 投稿者:マミケンメール  投稿日:2012年 2月 3日(金)11時10分59秒
編集済
  ●父のこともあり2/2(木)会社を休んだ。池上の銀行に寄る用事もある。都営地下鉄・西馬込から操車場上の歩道橋を通り、本門寺の裏を通る。まずは池上駅前の銀行での用事を済まそうと階段を下りるとその階段の風景に迫力がある。まずは持っていたデジカメで1枚。
●下に降り、階段を見上げる。加藤清正が作ったと言われる96段の階段である。お寺はだいたい山の上が多い。それは、信者が坂を登ることがすなわち「信心」ではないか?お参りを終え、開けた景色を見ながら気分良く人は帰りの道を降りて行く。
●近年、急な坂を考慮してその右側になだらかな階段も作った。昔だと急な坂は「男坂」、なだらかな坂は「女坂」と言った。(芝・愛宕山の旧NHK放送局横のお寺ではそう名前が付いている)その坂途中より山門を見る。子供時代には見なかった風景である。
 

死の準備

 投稿者:マミケンメール  投稿日:2012年 2月 3日(金)10時23分6秒
編集済
  昨日、入院している父の病状説明があった。「高齢者の死因の1番は肺炎」なのだそうだ。父は食物が気管を通って肺に落ち肺炎になったばかりか、点滴でないと栄養がとれない状態である。ただ点滴にしても打てる場所には限界があり、腹に穴を空け直接栄養を注入する「胃ろう」という措置をするかどうかの確認だった。ただ子供たちの総意としては、2週間前はちゃんと起きて食事していたのであり、1週間だけ様子を診てくれないかという返事をし、結論は来週に延ばしてもらうようお願いした。

夜、寝ながら目が冴えて眠れない。その思いは「自分もそろそろ死の準備をしないといけないなぁ」との思いである。そう言うと「縁起でもない」と人は言うかもしれないが、今はみんな「病院で生まれ」「病院で死ぬ」のが当たり前な世の中になってしまったが、60~70年前くらいは、お産婆さん(母は看護婦で産婆だった)が自宅で子供を取り上げ、田舎などでは自宅で亡くなるケースが多かったと思う。つまりは人類の「誕生」も「死」も日常の風景としてかつては存在していたのである。つまりは子供たちをもその「誕生」も「死」も当たり前に目にしていたと想像できる。現在の世の中が医療の効率からそれを病院という「BOX」の中だけに押し込んでいるのは、すごくもったいないことで、人々の成長や生き方に多少なりとも影響があると思うのだ。

そこで僕が何をするか?ただ「生」を身近に感じるように、「死」をも同じ次元で身近に感じて生きよう・・・ただそれだけである。

先日、遠い南半球から友が帰国した。ある女性が用事があって「すいません、行けなくなりました。よろしく言っておいてください」とメールで言ってきて、僕は珍しく軽く怒った。「よろしくとは具体的に何を言えばいいのか?『またいつか会えるからいいや』と思っていたとしたら、それは若者の思い上がりでしかない。なぜ、いつも『この人とはもう会えないかもしれない』と思って人と付き合わないのか?」そうメールを返した。

後日、彼女はその会場へ、母上と一緒に電話をくれた。僕はすごく嬉しくて「良かった良かった」と彼女にメールを返した。
 

きんたろうSEIJI さんへ

 投稿者:マミケンメール  投稿日:2012年 2月 1日(水)14時25分37秒
編集済
  その言葉覚えています。中学校だったか?高校生だったか?坂口安吾の言葉ですよね。もう1つあの名曲「アンチェインド・メロディ」を教えてくれたのもSEIちゃんでしたよ。レコード借りたと思う。

SEIちゃんの誕生日が2/1なのは覚えておらんかった。お互いの誕生日祝いで飲もうぜぇ・・・電話くださいな。(小生、携帯電話やパソコンは自宅に持っていないのだ。ははは)。森高だったら、N藤謙一(3A)S松正文(3G)S本(3G。高3で退学、現在蒲田駅前に割烹「さか本」をやっていて、中学、高校の同期が集まる。先月その会に僕もちらと顔出しました。懐かしい顔も分からない顔もありました。ははは)は、けっこう会ってます。といっても年に1~2度ですが。
 

祝誕生日&還暦!

 投稿者:きんたろうSEIJI  投稿日:2012年 2月 1日(水)13時30分11秒
  ヤッホー! 実は今日2月1日はおいらの誕生日。で、還暦! バカは歳とらないのかと思ってたら、ちゃんととるジャン。取りあえずお互いに還暦オメデト! マミケンのモットー「反省はする、後悔はしない」、いいねえ。HP見てたら、ホント、マミケンは昔から真面目度合い変わらんねえ。おいらなんか「人間落ちるところまで落ちたら、あとは上がる一方だ」なんて、誰かの言葉でカッコつけてたら、落ちるところまで落ちて未だに這い上がれん・・・ あほやなあ・・ しか~~し! 還暦だ~! ここらでいっちょう生まれ変わってやり直してみようか、な~んて、またバカな事思ったりしてるよ~・・ 近々一杯やろやろ!   

自宅細部⑪

 投稿者:マミケンメール  投稿日:2012年 2月 1日(水)10時54分49秒
  ●屋上への階段である。自宅にエアコンはない。熱帯夜は苦し紛れに4階屋上でゴザ敷いて寝ることになる。ははは
●風呂の中スナップである。意図的ではないが、カエルが集まってしもうた。そんなに好きなわけでもないのにねぇ・・・先日、上野動物園で超リアルなカエルが1600円で売っていたが、今度買ってこよっと。ははは
●2階のダイニングテーブルの上である。いちいち説明するのも馬鹿らしい物たちが並んでいる。床暖房はあるが、今はだいたい室温10~12度くらいである。ははは、まぁ死なない程度の温度ではある。
 

「若さ」とは何か?

 投稿者:マミケンメール  投稿日:2012年 2月 1日(水)10時20分47秒
編集済
  僕はよく人に「若い」と言われる。でも、それにはカッコ書きで(ホントは、若くないのに)という裏の心が入っている。つまりは若く見えようが歳取って見えようが「同じこと」なのである。

つまりは髪の毛が黒かろうが、肌がツヤツヤしていようが、顔がシワクチャだろうが、腰が曲がっていようが、同じことなのである。

僕が人に問いたいのは「あなたは自分が本当にやりたいことをやっている時間が、どれくらいありますか?」というだけだ。それがどんな些細なことでもいい。朝のラジオ体操でも、家の前の掃除でも、日記でも、ささいなスケッチでもいい・・・・心から「これがやりたいんだ!」という物をいくつ持っているか?だ。

それは、他人が見たら何の価値もないゴミなのかもしれない。でもそれはブランド品や貯金残高などとは違い、誰にも盗まれない、自分だけの「宝」であるだろう。それを人は「馬鹿」と言うかもしれない。ただ僕の中で「若さ」と「馬鹿」は同義語なのである。あくまで僕の中だけのことではあるが・・・・ははは
 

「展覧会」などいらないよ。

 投稿者:マミケンメール  投稿日:2012年 1月31日(火)09時49分13秒
  いつも通っているテニスコート横の集会場で、テニスコートから見れる風景だけを集めた「間宮TEINEN展」をやろうとしたが、会社から「前例がない」と断られた。

ははは、まぁいいか。

「展覧会」なる物は名古屋時代に10回くらい、沖縄で1回、東京で2回くらいやったが、会場費は払った経験がない。最初のMというデパートなど「額がなければ、こっちで用意します」と言ってくれ、他のギャラリーで同じ展覧会をやる時など、その額をそのまま貸してくれた。今考えるとなんて贅沢だったことか・・・ついにはその額は「差し上げます」と50枚の額(1枚5000円としても25万円相当)を戴いたのだ。

でも、今、僕はテニスコートで着るTシャツにイラストを描いたり、自分の乗る車にイラストを描いたりして(このHPやフェイスブックも含む)世の中に「自分の絵」は出しているのであり、今更高価な額を買って飾り立て、高いギャラリー費を払ってまで展覧会をやる気はさらさらない。

自分の成果を友人たちに見て欲しい場合はやるかもしれないが、自分の絵を売る気はさらさらないし、自分のHPでいつも発表しているから、これで充分ではある。ははは
 

自宅細部⑩

 投稿者:マミケンメール  投稿日:2012年 1月30日(月)14時26分30秒
  ●音楽部屋の入口。招き猫ののれんと花のカレンダーである。
●ドアの内側、すもものランチョンマットと上野動物園カレンダー。下にあるゴリラとアザラシの4つ切モノクロ写真は、フィルム現像や引き伸ばしを自宅でやっていた時代の物(1973年頃)である。
●電通のカレンダー(いつもビジュアルは日本の美術品。8色くらいの美術印刷である)。下にあるSLの写真は半切モノクロ写真で、印画紙を壁に固定して露光した。現像液の容器入れの大きさの関係から自宅で伸ばせる最大の大きさがこれだった。写真は1973年くらいに山陰山陽旅をした時、山口県山口市駅の前を疾走するSLの写真である。この日は暗い朝から操車場でSLを撮影していた。
 

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