teacup. [ 掲示板 ] [ 掲示板作成 ] [ 有料掲示板 ] [ ブログ ]

 投稿者
  題名
  内容 入力補助画像・ファイル<IMG> youtubeの<IFRAME>タグが利用可能です。(詳細)
    
 URL
[ ケータイで使う ] [ BBSティッカー ] [ 書込み通知 ]


【建築の展覧会】

 投稿者:マミケン  投稿日:2017年 8月23日(水)09時33分24秒
  藝大の先輩には建築科の人もいたから、卒業制作の模型作りを手伝った思い出はある。その後、先輩の紹介で建築事務所の模型作りのアルバイトもやった経験がある。ただし建築の素養がなかったから、卒業制作展で建築科の展示を見ても「何がすごくて」「何が面白いのか?」分からない展示ばかりだったのを記憶している。
++++++++++++++++++++++
今回近代美術館で「建築の展示」をしていることにも驚いたが、それを見ている人がけっこう多いのにも驚いた。展示は「自分の住宅経験」と照らし合わせて見れば、「けっこう面白い」のである。1部を除き「撮影可能」なのも大きい要素だ。

今の展覧会は新聞やテレビに取り上げられたか?よりもネットで拡散するか?の方が影響力が大きい。現代日本の都市部において「住宅を買える人」は一握りだが、それは土地代が高く、狭い土地しか買えないせいだが、家が「テント並みに安ければ」、人々は「家に関しては関心が高い」のである。つまりは「家回り」で遊ぶのは好きなのである。
+++++++++++++++++++++++++
原寸大の家模型もあったが、何の展示だったか忘れてしもうた。「無印良品」の「箱の家」の部品の1部だったろうか?
 
 

【顔のある住宅】

 投稿者:マミケン  投稿日:2017年 8月23日(水)09時03分4秒
  住宅を「人の住む空間」と規定すれば「住みごごち」のみが重要であるが、「住まない人」にとっては「そんなのどうでもいい」世界である。
++++++++++++++++++++++
つまり住宅は外の空間に向けては「大きな立体物」であり、それは「彫刻」である。それを意識した建築家は外観を「人の顔」にしたりする。去年見たTVCMに「顔の建築」を集めた住宅メーカーの広告があったが、ともすると現代建築は「効率重視」で「面白くもなんともない箱」になってしまいそうである。

「顔の住宅」は「ご近所に対する挨拶」なのかもしれない。
 

【安藤忠雄の「住吉の長屋」】

 投稿者:マミケン  投稿日:2017年 8月23日(水)08時23分31秒
  安藤忠雄は高卒である。高校時代はプロボクサーを目指していたが、ファイティング原田の練習を見て才能の差を感じ諦めたそうな。建築事務所でアルバイトしたのが建築への入口であった。
+++++++++++++++++++++++++++
「町屋」という建物がある。その昔、京都などでは、街道に接した長さに応じて「税金」を取っていた。人々は間口を狭くして、奥行きのある家を作った。なんと途中に蔵や庭まであるのである。当時は街道から離れた場所は草原が続いているような場所で「誰の持ち物かも分からない土地」だったと思われる。
+++++++++++++++++++++++++++++
安藤忠雄の建物である。長い土地を3等分し、真ん中の庭から明かりを取っている。もう「宇宙船のカプセルの空間利用」みたいな住宅である。
 

【ジャンヌ・ダルクという広告キャンペーン】

 投稿者:マミケン  投稿日:2017年 8月23日(水)05時02分42秒
編集済
  ●映画「ジャンヌ・ダルク」を見る。イングリット・バーグマン主演の版である。それまで関連した物に興味もなく、辛うじて名前を知っていたくらいである。
●百年戦争の中にあって、人々は疲弊していた。イギリスは常にフランスを狙っており、国王も頼りにならなかった。人々は「複雑な」国情に「単純な救い」を求めた。「神の声を聴いた」という少女の出現は、最初、嘲笑されて迎えられたが、そのひたむきさに人々は魅せられていった。

それはどこか「広告キャンペーン」的出来事である。「物事の単純化した整理」と「単純化した方向付け」である。彼女はいつか民衆からの人気と名声を得て、最後には教会の手で「魔女」として火刑に処されている。ある意味混乱した時代が作った「あだ花」ではなかったかと僕は思うのである。
 

【箱の家??】

 投稿者:マミケン  投稿日:2017年 8月22日(火)15時26分21秒
  プレハブ住宅と言うのがある。建築現場などにある「簡易住宅」を指す。ただし、現代の大量生産・個人住宅はそれを基本とした「高級プレハブ住宅」でしかない。

ただし、自動車でそれまで大衆が入手できなかった自動車を廉価にしたのは、オートメーションの流れ作業であった。それまでは職人が1台1台作っていた世界だったのだ。

建築でも似たような部分がある。つまりは住宅の部品を大量生産して経費を浮かす。オモチャのレゴのように「パーツの組み合わせで家を作る」のである。各住宅の「個性」を出すためには、そのパーツの種類を増やす方向にすればいいだけである。

「無印良品」に「箱の家」という住宅セットがあるのを今回初めて知った。どうやら家としてもいろんな組み合わせがあるみたいである。まぁどこまでも「箱を基本」とした家ではあるが・・・
 

【究極の日本住宅??】

 投稿者:マミケン  投稿日:2017年 8月22日(火)14時11分15秒
編集済
  これは最初冗談じゃないか?と思った。そうでもなければ、建売住宅の中を見せる「スケルトン展示」でははないかと・・・でもどうやらこれが完成形みたいなのである。こんな「丸見え住宅」で生活したい人っているのかなぁとも思ったが、人の好みはいろいろである。

日本住宅の1つのテーマは「狭い土地」をどう「広く使うか?」みたいな気がする。それはコンビニのテーマでもあり、「日本の得意技」でもある。

友人の住むオーストラリアの地方都市(日本で行ったら静岡くらいのイメージ)では、駅前くらいは高いビルはあるが、ほとんどの住宅は平屋か2階建てである。つまりは「土地の広さ」が違うのである。

「狭い場所でも広さは感じたい」そんなテーマの住宅だろうか?ある意味「究極」である。ははは
 

【丹下健三 自邸】

 投稿者:マミケン  投稿日:2017年 8月22日(火)08時26分50秒
編集済
  1953年に世田谷に作った丹下氏の自邸である。高床式でどこか桂離宮を思わせる。塀はなく仕切りは小高い丘だったそうな。それまでその土地は子供の遊び場だったようで、子供が入り込んで遊んでいるような空間だったという。

コルビジェの西洋美術館に似てなくもないが、丹下の言としては「コルビジェよりミケランジェロの方が上だ」と言っていたそうな。僕たち日本人にとってミケランジェロは彫刻家だが、バチカンに行くと、そこの大広場はミケランジェロの設計である。衛兵のファッションもデザインしたと言われている。どこか「シンプル過ぎる」コルビジェよりも、「宗教的演出の空間」をそこに見ていたのかもしれない。建築は「住空間」であると共に「空間の演出」も兼ねているのである。
+++++++++++++++++++++++++++++++
先日の展覧会「日本の家(1945年以降の建築と暮らし)は面白かった。いろんな住宅模型があったが、すべて僕は「自分の家としてはどう思うか?」という見方をしていたのである。その中で残ったのが、丹下健三自邸であった。ただし「沖縄本島南部の台風と暑さに関して、この住宅はどうか?」というアレンジは必要だとは思うのだけれど。
★あ、全然関係ないけれど、僕が入社した時点(1975年)での「電通本社ビル」(中央区築地)の設計は丹下氏であった。
 

【映画「ベン・ハー」を見る】

 投稿者:マミケン  投稿日:2017年 8月21日(月)19時59分25秒
  昨日神保町で史劇映画コレクションDVD10本1800円を買う。その中1本が「ベン・ハー」だった。例のチャールトン・ヘストン主演のやつではない。サイレント映画1925年版である。そんな映画があったのは聞いたことがある。1959年版はアカデミー賞11部門取った名作だからテレビで吹き替え版を何回も見ていた。(あ、映画館では見てないや)

今回、サイレント映画を見たわけだが、字幕映画って、字幕の間に話が飛んでもそんなに気にならないなぁ…例えば字幕で「その100年後」と書かれても「そんなもんか」と思って見てしまう。字幕映画ってどこか「本を読んでいる」みたいな感覚があるんだねぇ・・・

筋に関しては1959年版とほとんど同じである。時代的にそんなに特撮技術はなかった頃なので、「群衆」シーンでは本物の「群衆」を集めて撮影している風である。それにしても馬車レースシーンは大迫力である。かなりの危険が伴ったと思える。迫力を出すために「コマ落とし」で撮っているが・・・

1959年版にはなかったキリストの「最後の晩餐」シーンもある。その背景がダビンチと同じだった。人の配置は違うが・・・ラストが「キリスト賞賛」の映画みたいなのが、現代としては変に見えるが、キリスト教を基本として「日曜学校」などで習っている民族としては「宗教劇」は定番だったのかもしれない。

この時代の絵画の主流はドラクロワなどの浪漫派絵画だった。それは史劇や宗教関係絵画が主体だった。それらを「名画」と呼んでいたが、日本では映画でも名作は「名画」と呼んでいたのである。
 

【3つの展覧会】

 投稿者:マミケン  投稿日:2017年 8月21日(月)11時57分30秒
  8/20(日)朝のラジオ体操が終わり、夕方までに3つの展覧会を見た。
●1つ目は自宅から100歩の所にある「深川江戸資料館」でやっている「深川お化け今昔」である。この日最終日である。ポスターを見たら新しい浮世絵風イラストがあるので、最初に寄ることにした。撮影可能な所が多いので100枚くらいは撮ったかねぇ・・・
●地下鉄で神保町へ。徒歩10分で竹橋の国立近代美術館である。学生時代はよく来ていたが、近年あまり来ていない。10年ぶりくらいか?「日本の家」というロンドンやイタリアで好評だった展覧会の凱旋展である。戦後日本の住宅事情を端的にまとめている。
「沖縄別荘」の参考にと足を運んだ。1953年に世田谷に建てた丹下健三自宅が素晴らしい。桂離宮やコルビジェの西洋美術館を思わせるシンプルな家である。
「家は自分で作る」のが基本である。戦後、産業化し「一生に1度の買い物」にしてしまった所が「日本のダメな所」である。「失敗したら、また作り直したらいいじゃん!!」と思えた所がプラスだった。
●近代美術館は10年ぶりだったので、常設をけっこうじっくりと見た。展示方法もシンプルで飽きない。じっくり見過ぎて閉館時間になってしまった。ショップで展覧会図録などを買い込む。

帰り神保町の古本街でマンガやDVDを買い込んだら、サイフが空っぽになってしもうたなぁ・・・ははは。
 

【一滴の水Tシャツ】

 投稿者:マミケン  投稿日:2017年 8月20日(日)11時10分0秒
  水色のTシャツに「一滴の水」の絵を描いたのは先日書いた。
背中が空いていたので「一滴。」という文字(明朝体)を入れた。
僕はパソコン世代ではないから、明朝体くらい手描きで書けるのである。
 

【リアルのゆくえ】

 投稿者:マミケン  投稿日:2017年 8月20日(日)10時51分58秒
  8/20NHK「日曜美術館」を見る。3か月前に平塚美術館で見た「リアルのゆくえ」に関した内容だった。展覧会を見た3か月後に見るのは初めてなんで、ただただ「あ、あれか」と思ったくらいである。
++++++++++++++++++++++++++++++++
●岸田劉生や高橋由一を中心とした「写実絵画」を通した「絵画のココロ」を言っている。
●絵を描く者にとって「写実絵画」はどこか「理想」である。「対象物をすべてそのまま再現したい」のは「画家の究極の目標」かもしれない。
●ただアメリカの郷愁画家アンドリュー・ワイエスは晩年「私は抽象画家である」と言っている。その絵はどう見ても「リアル絵画」なのにである。
●いろんな画家がいろんな立場で「リアル絵画」を描いている。それはみんな「自画像」のようである。つまりは「対象物を写実的に描いた時」、「できる絵はすべて別の絵」になる。その違いは「画家のココロ」がすべて違うからである。
 

【不忍池を見る】

 投稿者:マミケン  投稿日:2017年 8月20日(日)04時47分7秒
  ●上野公園と不忍の池はセットになっていて、上野観光のスポットである。それは江戸時代から変わっていない。当時は京都の清水寺を模した大舞台から池を見下ろすのが定番だったようで、そこには松の枝を丸く変形させ「月に見立てる木」が名所だったと、広重の浮世絵が伝えている。
●不忍の池の真ん中には弁天堂があって、そこには「包丁塚」なんかもあると、マンガ「包丁人味平」に書いてあったなぁ・・・
●かつてここは競馬場で池の周辺の道が広いのもその名残か。
●また「東京勧業博覧会」をここ中心に使ってやっていて、水を使ったアトラクションもあったみたいである。
 

【とある上野風景】

 投稿者:マミケン  投稿日:2017年 8月20日(日)04時29分42秒
  上野公園を歩いていると「自由の女神」が飾ってある。これは何なのか?説明もない。
●ニューヨークにある自由の女神はフランスからの贈り物で、ヨーロッパから船で移民する人々が最初に目にするのがこれだと聞いたことがある。
●40年前にアメリカ旅行をした時、自由の女神のある島に渡ろうとして、焦って船に乗り込んだが、それは通勤客を運ぶ連絡船で、目指す自由の女神は遠ざかり、対岸に着いてしまった思い出があるのです。もう夕方4時で、最後の船も終わってしまい、ついに「自由の女神のおひざ元」には行けず仕舞いでした。
●これ何かなぁ?と考えた。芸大の秋「芸術祭」の宣伝のため、各科で神輿を作って上野公園内を練り歩くが、それの1つじゃないかなぁ・・・僕らの時代は男ばかりで「血の気が多かった」から、噴水前で神輿同志「戦う」のが伝統で、最後にはボロボロになってしまうのが当たり前だったから、「けっこう手抜き」で作っていたのだけれど、近年は美校でも女性が70%だから「やたら戦う」ことはせず、「神輿の完成度を上げる」方向に走っているのかもしれないねぇ・・・
●その完成度がやたら高いので、地元の人に乞われ、展示することになったと聞いた。「作り出すとやたら凝ってしまう」のは「芸大の伝統」かもしれないねぇ・・・ははは
 

【国際子ども図書館】

 投稿者:マミケン  投稿日:2017年 8月19日(土)11時06分7秒
  ●館内のホール写真である。昔は単なる「廊下」だったが、大きなガラス面にしたことで、貴重な展望スペースになっている。
●階段スペースである。古い歓談だったが、ガラスを入れたことにより「新しい階段」になっている。「いい階段」とは「登りたくなる階段」のことである。
●窓枠は改装以前から「威厳ある物」だったが、この窓を通した風景は「1つの絵」になっている。
 

【太陽+月Tシャツ】

 投稿者:マミケン  投稿日:2017年 8月19日(土)10時49分41秒
編集済
  黄色い蛍光黄色のTシャツを買った。「黄色は太陽だな」と西洋風太陽を描いた。日本ではあまり描かないが、西洋では太陽にリアルに顔を描き込むことが多い。背中には三日月を描いた。これはあまり西洋では見ないモチーフかもしれない。  

【ゴミは資料だ】

 投稿者:マミケン  投稿日:2017年 8月19日(土)09時49分59秒
  ●展覧会に行ったとする。だいたい他の展覧会のチラシが置いてある。どこかの駅に降りるとそこのガイドチラシがあったりする。そのだいたいすべてを持ち返る。我が家が「ゴミだらけ」になる1つの原因である。
●芸大の卒業制作を「山手二十九次」という「身近な風景」にした関係で、「当たり前の場所の当たり前な情報」は「宝物」である。どこかの「高級な本」より、「町のチラシ」の方が「生きた情報」なのである。
 

【川瀬巴水館】

 投稿者:マミケン  投稿日:2017年 8月19日(土)04時25分50秒
  「農家の秋(宮城県愛子)」・・・・両親の実家は茨城県である(実は僕の本籍は茨城県)。10歳の頃、兄貴と2人で田舎を訪ねたことがある。1960年の頃だが、その実家の家は両方ともこんな感じの家だったのである。これは日本の農家の原風景・・・東北から関東にかけてみんな同じ風景が並んでいたに違いない。  

【谷内六郎館】

 投稿者:マミケン  投稿日:2017年 8月19日(土)04時17分17秒
  驚くのは、この絵の「丸い雲」である。すごいのは、「それが全然違和感なく」存在していることである。それが「絵画世界」。  

【写真の力】

 投稿者:マミケン  投稿日:2017年 8月19日(土)03時59分20秒
  昨日、ご近所診療所に「血圧の記録ノート」をもらいに行った。やや高血圧で薬を飲んでいるので、毎日、朝と晩に血圧の記録をメモしているのである。そこの診療所の横のタバコ屋さんに1枚の写真が飾ってある。恐らくは50年前のそのお店の前の風景写真である。
+++++++++++++++++++++++++++++
絵と写真の違いを考えると、写真の強みは「その記録性」にある。つまりは裁判でも「写真」は証拠にはなるが、「絵画」は「証拠にはならない」のである。
++++++++++++++++++++++++++++
それはある意味「写真は記録でしかない」ことも意味している。写真は見る人によって「様々な意味」を持つが、それは「見る人の意識」がそうさせるのであって、写真がやっていることは、「光と影の記録」を単純にやっているだけなのである。
++++++++++++++++++++++++++++
深川のタバコ屋さんの前に立って、その写真を見る。無意識に「通り過ぎた50年の時間」を思う。逆に「絵画」にはそれはできないのである。「絵画」は常に見た人の「現在のリアルな風景」なのである。
 

【絵本「希望の牧場」】

 投稿者:マミケン  投稿日:2017年 8月19日(土)03時43分6秒
  昨日、上野の「国際こども図書館」でやっていた「絵本展」を見た。世界の絵本が200冊くらいはあっただろうか?みんな立てかけてある。中は自由に読めるのである。もちろん全部に目を通したわけではない。気になる絵の本をパラパラとめくった感じである。僕には絵本は「子供たちに夢を与えるような本」というイメージが「無意識にあった」のだが、世界的にはけっこう違うのである。
+++++++++++++++++++++++++++
その中に日本の絵本で「希望の牧場」という絵本があった。福島原発事故の後、立ち退き指示を無視して「牛を飼い続けている男」の話である。あの事故の後、牧場の壁に抗議文を書いて自殺した農民もいた。ただその男は「俺は牛飼いだから」と愚直に「牛を飼い続けて」いるのである。もちろん被爆した牛の肉は売れない。国の指示は「と殺処分」だった。ただその男は「牛たちがエサを欲しがるから」エサをやり続けている。

その牧場はいつの頃からか「希望の牧場」と呼ばれ、牛の数も増えてきた。それは「自分たちは飼えないけれど」と牛の飼育を依頼し、援助する人々が出てきたからである。「牛たちはエサを欲しがり、クソして寝るだけ」であるそうな。それは単純に「自分たちは今なぜ自分の土地で牛飼いができないのか?」無言の抗議になっている。
++++++++++++++++++++++++++++
現代のマンガにもジャーナリスティックな1面があるように、「絵本世界」にもそんな作品はあるのである。
 

レンタル掲示板
/468